2013年12月29日日曜日

2004年4月14日

旅も楽じゃないなぁ、

だって、僕の愛車はエンストしてしまうし、

徒歩で旅するのは、犬違いされて、

お役所に監禁されそうで危険だし・・・。

ハラハラしながら歩を進めるのは、疲れるねー。

だから、ちょっと一休み、一休み・・・、

と思ったウィリス様じゃった。

旅の途中で我が家に寄って、

ちゃっかりと、ご主人様の母親

(もう少しで「母犬」と言うところだったよ。

僕のご主人さまは人間だったよね。気の毒に。)

の膝の上で、僕は子犬に戻ってスヤスヤと・・・

夢心地だなぁ。

ん?

そう、僕が「お母さん」と呼んでいる人間だよ。

あ、違うよ、僕がそう呼んでいるからと言って、

日本みたいに飼い主イコール「お母さん/お父さん」という意味で

認識している訳ではないんだよ。

ドイツでは、飼い主は、

自分の事を「フラウレ=ご主人様ちゃん」(女性の場合)か

「ヘルレ=ご主人様ちゃん」(男性の場合)と呼んで

(南ドイツのバイエルン州で。北ドイツなら、

「フラウヒェン」か「ヘルヒェン」になるけどね)、

僕らに言い聞かせているから、

僕もご主人様の事を「フラウレ」として認識している。

そのフラウレの母親だから「お母さん」(そう呼ばれているから)だし、

祖母ならば「おばあちゃん」(やはり、そう呼ばれているから)、

と僕から見ても、そういう事になる。

ウフフッ、

僕の大好きなおばあちゃん。

ご主人さまが「おばあちゃんは?」と僕に問いかけると、

ロケット発射なみにおばあちゃんの部屋へとすっ飛んで行くんだ。

言っとくけど、その時の僕の急ぐ姿は、

とにかく可愛いんだからね。

そうだよ、僕ら犬は高度な自意識の持ち主なんだからね。

別にいいんじゃない?

そうそう、

日本へ来て、始め驚いたのは、

人間の飼い主達は、

僕らペット(何故か、そういう事になっているんだね、僕らは。

人間が僕らのペットなのにね、ウフフッ)の事を

よく「うちの子は」、とか「はい、女の子なんですよ」等と

説明するところだよね。

流行っているんだね、

それ。何だか気恥ずかしいよ。

ご主人さまは、ドイツでそうだった様に、

やっぱり僕の事を「ええ、雄なんですよ」と紹介してくれるよ。

大人、つまりは成犬なんだから、

子供か子犬扱いされるのもちょっとね。

勿論、僕らは人間達の家族の一員だから、わが子のように可愛く、

そして大切に思ってもらうのは当然の権利だけど、

とことんまで人間化されると、

僕らから見たら、

色々と理解し難い行動をする人間達と同じレベルに下げられるようで、

傍迷惑で、ちょっと考えものだなぁ。

そうだよ、一応、マナーとしては、

僕だってご主人様を立ててはいるけど、

犬は犬としてのプライドとか尊厳があるからね。

人間よりは優れているし、

まぁ、簡単に言うと、人間よりいい人間なんだし、ね。

怒った?

そうだよね、怒ってなんかいないよね。

だって、馬と鹿の間の子

(そうなんだよ?、人間にはそういう珍獣が多いんだってね?、

僕らの仲間内では専らの噂なんだよ)ならともかく、

まともな人間なら、

僕の言っている事は理解してくれると確信しているもんね。

エヘヘ。

僕が力説したい事はね、

とにかく僕ら動物(ペットだけに絞るつもりはないよ)

に対する愛情や愛護の実践は、

人間中心になり過ぎると良くない、という事なんだ。

ドイツと比べても、

人間とペアルックの「服」という馬具みたいなものを

身につけている仲間が、日本では多いなぁ。

僕は、馬具は首輪とリードだけでたくさんだ。

だって、僕らは人間と違って、

「服」なんか着なくても十分「美しい」んだよ。

生まれつきの毛皮を来ているからね。

裸でも綺麗なんだよね。

人間は可哀想に、そうはいかないんだね。

そりゃあ、人間からしてみれば、

僕らが「服」をまとっている姿は可愛いと思うよ。

でもね、ドイツの飼い主達の殆どが知っているのは、

僕らに服を着せると、

僕らが体温の調整をしにくくなる、という事なんだ。

だから、ドイツで服を着ている仲間は、

ハイ・ソサイエティーの年輩の女性が

片手に乗せているような小さい仲間達ぐらいかな。

他の飼い主達や僕らにとっては、

「あの犬は、おもちゃにされてて可哀想だ。

服がないと寒がる程退化してしまったのだろうか?」と、

ついつい苦笑いしてまうような光景なんだよ。

愛玩犬が玩具犬にされてしまった瞬間を見るような気がするんだ。

確かに「トーイ・プードル」の犬種名みたいに

「おもちゃのプードル」という表現が定着しているみたいだけれど、

小さいプードルであっても、

やはり犬としての人権ならぬ犬権があるしなぁ。

僕はね、格好悪いところを告白すると、

実は寒がりで、暑がりなんだ。

ミュンヘンの冬の散歩は、雪の中、凍りついた道の上、

そして日中の最高気温がマイナス11℃、という中だから、

僕は残念だけど2時間半位で震えがくるんだ。

逆に東京の夏は、もの凄い湿度に高温だから、

これも又苦手なんだよね。

そんなこんなで、ご主人さまは、何を血迷ったのか、

僕が今年の冬のある夜の事、

寒がって風をひきそうになったからと言って、

僕の為にチェック柄のマントみたいな馬具を買ってくれたんだよ。

本人も気恥ずかしいのか、

ゲラゲラ笑いながら、それを僕に着せてね、

「可愛いね」、だって。

笑われた後にいくら言われても、

僕は何だか罰として着せられているような気持ちになるだけだった。

足枷ならぬ身体枷かな。

化繊だったから暑くはなるし、

それに気付くとすぐにご主人さまは僕をマントから解放してくれて、

僕はそのまま大急ぎで寝床にジャ〜ンプ・イン。

又なにをされるか解らないこの御時世、

眉間にシワを寄せてご主人さまとマントの行方を見守る僕だった。

それ以来、マントのお仕置きは受けないで済んでいるけれどもね。

着せ替え人形じゃないんだから、

僕としては、マントは永遠に保管されたままであって欲しいな。

そうそう、東京は、家の中って高率の悪い暖房の仕方が広まっているから、

床近くはいつも寒々しいんだよね。

ドイツみたいに、日本でも見かける

オイル・ラジエーター型の電気ヒーターに形が似た、

作り付けの温水暖房器具が窓枠の下にある

セントラルヒーティング方式であったならば、

室内の空気がうまく混ざりあっていいんだけどね。

東京だと、足は冷たくて、頭が暑いから。

ご主人様だってそれに慣れていないからね。

えっ?

床暖房にすれば解決するって?

ウ〜ム。日本では今、東京でも床暖房が流行ってきているようだね。

ドイツでも30年位前に一時とても流行っていたから

「イン」だったんだよ(現在の日本では、「イケてる」と表現するらしい)。

でも、あれだと足がむくんでしまう事が判明して、

女性を中心に中高年層が困るようになったし、

ピアノやチェロ等の楽器を置いておくと、

ヒビ割れしてしまって台無しになるから良くないんだよ。

いやいや、床じゃなくて「楽器」がヒビ割れするんだよ。

どの主語に対する表現なのか、曖昧だったって?

アッハハハ、そうだね。

でもね、日本語って面白いんだよー。

関連があるべき主語とは

違う主語と結び付くような表現の仕方が多くて、

ニュース番組なんか、ついつい笑えそうになる事もあるんだよ。

例えばね、「逃げた白い乗用車は、そのまま・・・」と、

どの放送局のアナウンサーも読み上げるよ。

でもね、ドイツだと、それを聞いたり読んだりする人は皆、

「白い乗用車が逃げたあ?

逃げたのは、白い乗用車の運転手じゃないのかね?」

とツッコミを必ず入れるだろうね。

だって・・・

そう言った類いの、

一見ニヤっとしてしまうような誤解を生む表現集は、

本屋さんの「ユーモア」という棚に置いてあるからね。

おっとっと、ちょっと話が横へ滑ってしまったかな。

え?、

床暖房の事だよね。

あれだと、ピアノなんかもかなり音程が狂いだすんだよ。

下からボワ〜ァッと乾燥した暑い空気層が、

ピアノのお腹一面めがけてまとわり付いてくるから。

だから今では、音楽家は楽器の為に、

そして一般の人は健康上の理由から、

床暖房を住い選びの対象にあまりしないんだよ。

日本では、少し年月をずらして流行りだしているから、

遅れて何年か後に同じ事に気が付くと思うよ。

基本的に、僕らは犬として、野生児、健康児でありたいんだよね。

人間に抱き上げられないと

他の人間や犬と向かい合う事ができなかったり、

他の犬を見て怖がったり吠えかかったり、

散歩も自分で歩くより

だっこして貰いたがったりするような僕らではなくて、

野原を生き生きと駆け巡り、

小川を飛び越えたり、

川にじゃぶじゃぶ入って

美味しくて冷た〜い透明な水をガブガブと飲んで、

原っぱを掘り返してネズミを探したり、

野うさぎの後を気が狂ったように追い掛けて、

結局うなだれてトコトコ戻ってきたり、

という「勇姿」を知って欲しいんだよなぁ。

んま、ちょこっと泥だらけにはなるけどね〜。

ムフ。

それからね、

最高にいいのは、牛が残したま〜るくて平たい物体で、

いい香だからモー烈に惹かれていく特上のオーデコロンの事。

時期がくると、人間が牛たちの協力で作りあげた

堆肥が畑一面に撒かれるんだ。

そうすると、もう棚から牡丹餅状態!

そこに身を擦り付けて、

背中から頭や顔に「美容パック」

(今、ご主人さまが、僕をしらけた目つきで見ている・・・、ゾゾ〜ッ・・・)

を全身に施して、ご主人さまの悲鳴と反感をかい

(それでも、やるのが男だっ!)、

帰りの車の中では僕はルンルン、

彼女は何故か鼻を摘んで運転している・・・

シュタードゥラー先生の別荘があったバード・アイブリング近郊には、

夢のような散歩場所がいっぱいあってね。

3時間以上歩いても人と出逢う事なく、

小川を飛び越え、

白樺の肌が白銀の光を放つ落葉樹林の間を通り、

針葉樹が生い茂る小さな森の横を散策し

乍ら樹液のスパイシーな香を嗅いで、

好きな樹の根本に犬としてのサインをするのも忘れずに、

牧草地帯や野原に可愛く揺れる野の花達や山野草達に歓迎されながら、

「アズール色の乙女」という名の蜻蛉に

僕は目が回りそうになったりして。

興味深い匂いや森の動物達の足跡を追跡する僕は、

定期的にご主人様の足元へと戻って

再び野原に飛び込んで、

あらゆる鳥達の歌声が鳴り響くなか、

広くて真っ青な空に

ふわふわと浮かんでいる白い羊達を不思議に思うんだ。

天気が良ければ

南に広がるアルプスの山々は、

ドイツ側は勿論、

オーストリー側からスイス側のシルエットまで見せてくれたりする。

清清しくて幸せを感じるなぁ。

そして、畑や牧草地が牛肥オーデコロンで飾られている季節、

毎回、帰りは満足気な僕と息を止め気味な無口なご主人様、

というパターンで車の中は同じ情景だった。

でもね、僕は心優しい犬なんだから、

ご主人さまに

「いいじゃないか、昔の事を思えば?

ご主人様が小さかった頃は、後部座席を、

今の僕と同じオーデコロン状態の

バーニーズ・マウンテンドッグと分け合わなければならなかったんだからさぁ。

今は、僕は後ろで、ご主人さまは運転席だから、

ランクアップしたから良かったじゃないかい?」と諭すんだ。

その時、彼女の目は遠くを見つめ始め、

まるで過去を走馬灯のように思い出すんだ、

シュタードゥラー先生が好んで

何代も飼い続けていらしたスイス・ベルン地方の大型牧牛犬の事・・・、

その逞しく大きな身体に暖かい眼差し・・・、

そして僕の言葉に一理ある事に、やがては気付く・・・・

前に、彼女の脳裏には、

『大きな犬には身体の大きさに比例して多くの犬用オーデコロンが付いていた事』、

『車の中の匂いが壮絶だった事』、

『自分の服に付かないように、犬用座席カバーで犬との境を死守していた事』、

等々が鮮明に蘇り、

我に返った彼女は鼻息荒く一回深呼吸してから、

鼻を更に入念に摘むだけだった。

変なんだよ、

まるでシンクロナイズド・スイミングのつもりなのかな。

いい匂いなのにね〜、

人間は文化の程度が低いよね〜。

だって、ほら、人間達も泥パックとか、

海藻のアルゴパックとかを使って、

美容と健康に役立てているじゃないかい?

ご主人様も、肺の健康にいい匂いの

「入浴法」を思いっきり楽しんでしまえばいいのにねぇ。

美容にも効くかも知れないのに・・・。

まったくだよ。

なのに、犬の繊細で高貴な嗅覚にとって、

そもそも侮辱としか言い様がない

悪臭を放つ「いい香(?)の石鹸」とか、

「香水(?)」という物質を優先するんだよ、

人間達は。

あんなキツイ匂いじゃあ、いくら風下に立っても、

狙った獲物に感付かれてしまうのに。

賢くないなぁ。

自然と一体になろうとする僕らを見習わないのは、何故だろう?

僕のご主人様は、賢くないよなー。

さあて、ぼちぼち又発つとするかな・・・。

近いうちに、僕の「世の中の為になるひとりごと」の次回作の中で、

続きをご覧戴けるようにするね。

それまでは、待ち遠しくて眠れないだろうけど、

皆さん、そこをぐっと我慢して大人でいて下さいね

(犬のはアツイよ〜っ!

純心、純粋、忠実、誠実、それから、・・・

え? あ、そうでした、この辺にしておきます・・・)。

まったね〜!

バ〜イ!アウフ ヴィ〜ダセ〜ン! 

チャリ〜ン、ギーコ、ギーコ、・・・・。

だから「チャリンコ」って言うのかな?

ドイツだったら自転車の愛称は

「鋼(はがね)のロバ」なんだけど。格好いいでしょ

♪ ロバ〜のう〜ぅぅえ〜に い〜ぬコ〜ロ乗〜ぉせ〜て、

ぁと〜はネ〜コ乗〜せ、に〜わと〜り乗〜ぉれ〜ば、

ブレエ〜ェメ〜ンの〜ぉ お〜んが〜く隊、ぁこ〜りゃ

わ〜らあってく〜れろ〜ぉ、 ヘ〜ェラ〜ヘラッ

♪鋼のロバに跨がり、世界を叉に掛ける英雄、ウィちゃんより